携帯電話の健康リスク報道を聞いて、人間のリスクの捉え方について改めて考えてみた

「iPhoneを身体に着用して使用する場合、本体の身体からの距離が15mm未満の場合(iPhoneをポケットに入れて持ち運ぶ場合など)、iPhoneのSAR測定値は総務省の定める曝露ガイドラインを上回る場合があります」(アップルiPhone小冊子より引用)ロケットニュース

自動車と同様、いかに生命に関わる携帯電話のリスクが顕在化しようとも問題にはならない。デメリットだけを強調するおバカさんも人だが、恩恵を実感していれば、都合よくリスクを流せるのも人である。

原発のリスクについて、自動車の事故率を引き合いに出すと、多くの原発反対派論客達が全然理屈になっていない理屈をこねはじめる。

村上春樹氏は「交通事故で毎年5000人死ぬが、原発事故で16万人が避難している。5000人と16万人では比較にもならない。」と言っていた。 
・・・もう知識人もクソもない生命軽視のとんでも論である。

誰も「自動車も同様に殺人兵器だからなくすべきだ」とは言わない。単純に「恩恵を感じやすいか?」という直接性と自身の意思決定権の有無の問題でしかないと思う。

その点から考えてみると、「原発」も「国防」もデメリットの恐怖と比較すると、メリットが非常に実感しにくい。

大前提として、物事にはすべてリスク・デメリットがあることを受け入れることが大事である。多くの便利や楽しみも、見方を変えれば、誰かの生命を奪う可能性をはらんでいるというのが現実なのである。

リスクから逃げることではなく、リスクと向き合うことが大事なのだ。

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