なぜ、日本人は不幸や不安を感じやすいのか?

「日本はこの先、大丈夫なんでしょうか?」という問いかけをよく耳にします。

平均寿命や殺人率を見れば分かる通り、生物として存命するという意味では、日本は世界一と言って良いほど目的に適った国です。

そして、今も尚、死亡する原因は次々と取り除かれ、凶悪犯罪や交通事故も減少の一途を辿っています。

日本で報道されている事件の多くは、他国では日常的すぎてニュースにもならないというのが事実です。

財布から目を離して盗まれたら、悪いのは本人 というのが世界の常識です。
女性が夜中にひとりで歩いたら、強姦されるというのは多くの国で日常です。

世界の多くの場所で、死と生は隣り合わせ。
少なくとも、日本と比較するとほとんどの国で、凶悪犯罪や戦争や極貧は身近に存在します。

「生きる」という意味で、日本列島が世界の最適地のひとつであるということは、これからも大きく変わることはないのではないかと思います。

参考) 殺人報道の多さは、「安全な時代」を意味している。

それなのに、日本人は不幸や不安を感じやすく、具体的な結果として自殺の多い国です。

参考)2015年度版世界の幸福度ランキング、日本は46位

なぜでしょうか?

誤解を恐れずに言えば、現代日本には、目に見える不幸が足りない。 

それが、皮肉にも日本人が幸福を感じにくい根本的な理由なのではないかと思います。

無事に生きていることが世界一あたりまえで、生かされていることの価値やありがたみをもっとも感じにくい。

正しい正しくないは別として、人には、他人との比較によって、幸福・不幸を感じるという性があります。

身近に大きな不幸が見える時に、人は幸福感の閾値を下げる あるいは、不幸の閾値を上げるようになっているのではないでしょうか。

実際、現代の日本人は、歴史上のどんな王様よりも、便利と長寿と美味しい食べ物と清潔な環境と安全を生まれながらに与えられているわけです。

少し広い視野で考え、比較対象を変えれば、不幸を感じる環境でないことは明らかなのです。

また、現代日本の不幸の特殊事情としては、人類史の奇跡と言われる高度経済成長と1980年代後半のバブル経済の後の低成長時代ということが言えるかもしれません。

絶対的な生活の質で言えば、いくら所得が減っていたとしても、一時期のピークを除けば、今の方が便利で豊かだと思います。

それでも、バブルの幻影があるせいで多くの人は不幸を感じているのではないでしょうか。

人との比較に話を戻しますが、幸福や不幸を測る比較の尺度は、親近感の強い人ほど選択されやすくなります。
※親近感の強い人・・・情報交流の太い人、環境が近い人、能力が近い人、性質が近い人

その典型が過去の自分で、もっとも影響力のある不幸の尺度になりがちだと思います。

多くのスター達が、全盛期を終えて、大金を持ちながら、精神的に衰弱していくのを目の当たりにするとそれは強く実感されます。

余談ですが。

かのベッキーは、自分のライバルは他人ではなく、昨日の自分で、昨日の自分に今日の自分が勝つことを目指していると言います。
他人と比較するのはよくない。幸せになれない。というテーゼの解としては一見、前向きな印象を与えるもの。

それでも、この考え方をすると、切実なのが、「美人とアスリート」

美貌と抜群の運動能力をアイデンティティとしている彼らは、人生の全盛期を人生の前半 15~30% に迎えてしまうという宿命があります。
特に、圧倒的な才能がある人ほど全盛期を越えた後の喪失感は想像を絶するものなのではないかと思います。(自分がそうではないので想像も難しいですが)

だから、過去の自分との比較も努力へのモチベーションとしてはいいのですが、幸福感の尺度としては危険なんですよね。

そうなると、何が精神的な安定を約束するかというと、年齢を追う程、成長できる分野を探し、それを重視するというルール(習慣)づくり。

年齢を追う程、成長できる分野ってなんだろう?

そう思うと、日本人が、環境に対して不幸を感じやすいもうひとつの理由が見えてくるのです。

それは、宗教に対しての無頓着

宗教は、普遍性や真理の追求を通して、他人や過去の自分との比較を回避する価値観を提示する役割を果たしているのではないかと思うのです。

「身近な不幸の不足と宗教観の欠如」 

それが私が、現時点で出した日本人が幸せを実感しにくい理由です。

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