「ゆとり教育」というものが必須カリキュラムを減らすという意味なら賛成であるという話

正確に、何を「ゆとり教育」というのかは定かではないが、それが具体的には必須カリキュラムを減らすことだとすれば賛成である。

大半の人が3日後には忘れているものを、黒板に書いたから教育をしたと強弁されても、それは教師と生徒、お互いにとって時間の無駄というものだ。中学の教科書をまともに把握できている社会人が、どれだけいるというのだろう?社会人になった時点で、知識としてもっていないものは、カリキュラムになかったことと同じである。

数日後に忘れることに時間を割かずに、重要度の高い知識を、長期記憶化させるまでしっかりと繰り返し繰り返し叩き込む。義務教育は、今まで以上に知識の最大公約数を強固なものにできることに心血を注ぐべきだと思う。

そのためには、カリキュラムを減らして繰り返しを増やすということが王道になる。同時に、理解している人は、どんどん難易度を高める自学習システムを導入すればいい。わかりきっていることを繰り返し聴いたり解いたりすることもまた、社会的損失だ。

「教育」という名の単なる拘束が、自習時間を奪うことは避けて欲しい。

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