体罰論〜体罰は弊害が少なく効果が高い可能性〜

体罰についてざっと持論を述べたい。

まず、体罰容認派の意見として

殴られることで、痛みを覚え、下手な暴力をしなくなる。
今の子供は殴られたことがないから突然殺したりしてしまう。 

などという話があるが、これはないと思う。

自己正当化を目的とする郷愁的(昔はよかった)な解釈だ。

暴力は連鎖する。

殴られた経験がある人はない人と比較して人を殴りやすいし、殴ることで何かを解決しようとする傾向は強まる。

殴られたこともなければ暴力を見たこともない人にはその選択肢は薄い。 

それは、体罰の代表的な負の側面であり、その弊害は一定程度認めなくてはならないと思う。

では、体罰について断固反対かと言われればそうでもない。 

弊害があるから排除するというのは次の新たな問題を引き起こすだけだと思う。

「罪と罰の関係の明確化は、事件の再発を防止する」という側面は確実にある。

犯罪に対して国家が強制的に肉体的精神的苦痛を与えることで更正を促すということが正当化されているのにそれ(罰)を子供にするのは全面的によくない。効果はない。 と全否定するのは些か都合が良すぎるように思う。

罰という仕組みの更生可能性を完全に否定してしまえば、問題が将来に先送りされるだけなのではないだろうか?

仮に、罪に見合った罰は正当化されるとして

何かしらの罰を与えなくてはならないとしたら

食べものを与えないことなのか。
教育を受けさせないことなのか。
大声で罵倒することなのか。
裸で街を歩かせることなのか。
みんなで無視することなのか。
と選択肢を考えてみると、効果と弊害の少なさの観点から、体罰(肉体的苦痛)の使い方はあるように思う。

体罰を批判するとしたら、肉体的苦痛を与えるのは野蛮だとかいう感情的な側面ではなく

問題点を、罪認定と量刑が個人の主観に委ねられていることによる過剰な罰に絞るべきではないだろうか。

そして、それをいかに防止するかということに知恵を使うべきではないだろうか。

誤解を与えては困るので改めて言うが、決して私は体罰を推進したいわけではない。

ただし、悪い行いに見合った罰として、肉体的苦痛を与えるという選択肢を絶対悪として完全に排除してしまうこと は行き過ぎであり、それによる負の側面にもしっかりと光を浴びせるべきだと思うのだ。

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2 件のコメント

  • 罪に対して罰を与えることによる効果は犯罪に限らず何に対しても確かにあるでしょうが、民主主義では肉体的苦痛による罰は認められていません。(死刑ですら肉体的苦痛を与えないように努力されている)
    そもそも、体罰の問題点は、効果と弊害の比重の問題ではなく、おっしゃられているように「罪認定と量刑が個人の主観に委ねられている」点にあるように思います。
    一般人である教師が国家にすら許されていない身体刑を他の国民に対して行う権限があるのか?という問題だと思うのです。

  • ご返信遅れまして大変申し訳ございません。

    もうたぽさんのおっしゃることは、もちろん理解しております。
    筋論として、体罰がダメだということはそのとおりです。

    ただ、罰というインセンティブによって行動が改善される可能性を認めるのであれば
    肉体的苦痛がダメだという一方向からの議論ではなく

    では、どんな罰がふさわしいのかという論点で話すべきだと思うのです。

    罰には
    経済的な罰、精神的な罰、肉体的な罰、社会的な罰等があると思いますが、この中で本当に体罰だけを切り取って糾弾することが合理的なのかということについては大いに疑問があります。
    より相対的に検討するべきだと思うのです。

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